Introduction

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後景化する批判的言論

 私は一人で映像の企画制作を行うビデオジャーナリストの草分けだ。初めてビデオカメラを持ったのが1987年だから、かれこれ30年は活動していることになる。最新作は、福島原発被害東京訴訟を支援するドキュメンタリー「終の住処を奪われて」で、これは裁判の書証にもなっている。そろそろ現役にしてベテラン、という域に入ったかと思う。もともとメディア批判的な視座から活動を始めているので、映像を作るだけでなく、後発の育成にも力を入れてきた。ビデオジャーナリストはもともと分業で行われてきた映像制作の作業を一本化し、個人が担わなければならないため、従来のOJTではない制作と教育の理論が必要になる。自社VJUのワークショップと東京経済大学での授業実践における試行錯誤も交えつつ、研究には10年ほど費やし、5年前にようやく一冊の本にまとまった。それが個人制作のための理論書「ドキュメンタリーの語り方-ボトムアップの報道論-」(勁草書房)である。ニュースやドキュメンタリーを記号論物語論脱構築し、さらに独自の制作ノウハウを再構築している書籍は、たぶん日本初だろう。

 しかしながら、これを書くにあたっては映画理論と企画制作の方法論、メディア批判のバランスにかなり苦慮した。ページ数の限界もあるので、前半は理論、後半は方法論、メディア批判は味付け程度という感じの仕上がりだ。「前半と後半で違う本じゃないか」という人もいたけれど、全般的には映像業界人にも、教育関係者にもまずますよい評価をいただけて、他大学の学生にも教科書として利用してもらっていると聞く。

 ただし、若者たちの問題意識は必ずしも高くない。学生ならばメディア関連企業への就職やYOU TUBERへの憧れ、在野では「映画監督」だろうか。彼らの動機は自己実現か承認欲求が多くを占めていて、やや呆れる。議論を交わすにしても、せいぜいノウハウに関するものばかりで、「テレビのここが問題」みたいな話にはなかなかならないので、がっかりというか、単純に人間関係としてつまらない。何せ私自身は映像メディアに対する憧憬など、ほとんどなかったからである。それどころか…

テレビなんか大嫌いだった

 というか、今も大嫌いである。なぜかというと、第一に時間の無駄であるということ。これはまあ、共感する人も多いだろう。第二の理由は見ていると虚しくなるからである。正確に言うと、見れば見るほど「自分が仲間はずれのような」気がしてくるということだ。知り合いのプロデューサーは「テレビは川下のメディアだ」と言っていて、つまりテレビは大衆向け、庶民向けに作られているということだ。確かに大量生産・大量消費の時代にはこれは顕著であって、視聴者を規格品のように捉えても、大きく狙いが外れることはなかっただろう。しかし、私はそんな時代にさえ、たぶん規格外の子どもだったために、疎外感を感じテレビが好きでなかったのだと思う。メディアは実は視聴者を選んでいて、常に決まったターゲットにメッセージを投げかけている。これは広告記号論では「指示」という概念で説明される。で、ターゲットになりそこねた人間にとって、これは否応なく差別的なメタ・メッセージとなってしまい、不快なだけなのだ。制作者に悪意はなくても、たとえばゲイの人にとって、男女の恋愛の話題というのは差別的なメッセージになることがあると聞く。私は性的マイノリティではないが、「いじめ」や「うわさ」が嫌いなので、バラエティ番組やワイドショーが嫌いだ。しかもスポーツ全般にさして興味がない。だから大人になってからというか、インターネット全盛期になった今、私の部屋にテレビはないし、今後もたぶん置かない。

 ついでにいうと、高校生くらいまで映画はハリウッド系のものしか見てなかった。つまり映画ファンでさえなかったわけだ。007シリーズだとか、スターウォーズだとか、まあ「水戸黄門」とかを見て喜んでいる爺さんとさして変わらない方向性だった。俳優の名前なんぞすぐに忘れてしまうし、まして映画監督の名前なんか気にもしなかったのである。映像なんてチャラくて薄っぺらいもんだ、くらいに思っていた。

なぜかまさかの映像作家に

 そんな私が映像作家になってしまったのだから、人生何があるかわからない。1990年代後半のメディア運動の中で、私は象徴的なアクティビストの一人として活動し、その後はなんと大嫌いなテレビの仕事で20年近くメシを食っていたのだ。報道ジャンルの仕事だからバラエティを作っていたわけではないが、我ながら不思議だ。しかも、ビデオジャーナリストという新しい職業スタイルを確立した先駆者と目されている。

 というわけで、「なんでそうなっちまったんだ?」「これからどうしようってんだ?」というのが、このブログの軸になる。もちろん、単にキャリアを語るのでは面白くないので、ここは徹底的に学問と紐付けながら語る。といってもテレビという媒体に関わる学問は多岐に渡り、テレビはそれぞれの学問分野の周辺的研究の総体という形でしか捉えることができないのだ。今のところというか、たぶんこれからも<テレビ学>といったものは生まれないだろう。しかも、インターネットの登場によってテレビは「オワコン」だと言われているので、研究対象としてもすでに人気が凋落している。

テレビの背後に何があるのか

 それでも私がテレビ批判にこだわる理由は何かといえば、テレビを介したコミュニケーションスタイルの本質は、テレビ受像機が開発されるよりはるか昔から社会に存在し、それが新たなデバイスに置き換わったとしても存在し続けるだろうと私は考えるからだ。個人と社会、組織や国家との間には、そもそもさまざまな次元のコミュニケーションが存在し、各々のデバイスはそれらをかき寄せて、社会関係を具現化するための装置として機能するだけである。

 インターネットは確かにそれまでに存在した多くの障壁をなくすことに成功した。しかし、そこで語り合われる内容や、伝えられる情報が、果たして変容したであろうか。コミュニケーションが加速し、より緊密に、高頻度なものになったとしても、人間の関心が大きく変わることはなく、社会関係もまた新たなインフラに憑依するかのごとく具現化するのである。たとえば、家庭用ビデオが普及したのも、ネットが普及したのも、それを牽引したのは第一にポルノであって、次に無償のテクスト、画像、映像コンテンツ、そして、さまざまな商取引に関わる宣伝と続く。行政サービスなどがそこへ乗っかってくるのは最後、と順番まで同じだった。したがって、デバイスによって新たなコミュニケーションが生まれるかのように論じるのは、本質的には誤りである。

テレビ依存とテレビ嫌いの理由は同じ

 したがって、テレビを論じるというあり方はなかんずくその背後にある個人と社会のコミュニケーションの本質を読み解くということと同義である。昭和の人々がテレビ大好きだった理由と、私がテレビを大嫌いな理由は多分同じで、かつてのテレビ依存と現在のネット依存にも多くの共通項があるはずだ。目に見えるテレビ受像機やパソコン、スマホそのものではなく、それを介したコミュニケーションの中に、人々を夢中にさせたり、孤独を感じさせたりする「何か」がある。それを追究したい。そして、あるべき「テレビ的コミュニケーション」の姿を具体的にイメージしていきたい。このブログの目的はそこにある。

 ちなみにカテゴリーの「テレビを<作る>」というタイトルは、私の研究に大きく目を開いてくれた最初の書「テレビを<読む>」(フィスクとハートレー著/未来社)にちなんだものだ。内容については折に触れ引用することになると思うが、テレビを分析するためにはいかに多角的なアプローチが必要かということがよくわかる本だ。

 私も自らのさまざまなメディア的実践をベースに、多角的に、そして柔軟に思索していきたいと思う。

 

<筆者の単著> 

ドキュメンタリーの語り方: ボトムアップの映像論

ドキュメンタリーの語り方: ボトムアップの映像論

 

 <参考文献01> 

テレビを“読む”

テレビを“読む”